私は難治性脊椎脊髄疾患、とくに脊柱変形治療の最前線を学ぶため、University of California, San Francisco (UCSF)の整形外科に客員研究員として1年間所属しておりました。UCSFはカルフォルニア州サンフランシスコにあり、医歯薬看護学部に特化した大学院大学で、全米でも屈指の付属病院を擁しています (U.S. News & World Report’s 2017-2018 Best Hospitals surveyでは全米5位)。地理的にスタンフォード大学に近いこと(車で30分)でスタッフ間の交流が図れることと、シリコンバレーに近くで最新のIT技術を取り入れる産学連携(拡張現実支援下手術など)を特徴としているように感じました。また診療だけではなく、臨床に基づいた基礎研究も盛んで、iPS研究で有名な山中伸弥教授は京都大学だけではなく、UCSFにも所属しております。
UCSF整形外科の脊椎部門のVedat Deviren教授を、松山幸弘教授に紹介していただきました。Deviren先生は何度か日本に招待講演で招かれていて、浜松にも来ておりましたが、その時にUCSF訪問をお願いしました。Deviren先生は脊柱変形矯正手術を専門としている整形外科医です。診療だけでなく学術活動も活発にしており、各種学会の理事(The International Society for Study of the Lumbar Spine (ISSLS)、The Society of Lateral Access Surgery (SOLAS)など)も務めているUCSFのスター教授のひとりです。
UCSFに赴任した私のデスクは、Deviren先生と同じオフィスの同じ部屋にありましたので、私が朝から晩まで密着マークをして、彼のハードワークぶりを直に感じることができました。また韓国、中国、トルコ、ブラジルなど世界中から若いドクターがUCSFに訪問して来て、手術見学をしていました。そのような世界中のドクターと知り合うのも楽しみのひとつでした。手術の合間にディスカッションをしたり、研究のためにX線画像計測を手伝ってもらったり、彼らと食事や観光に行っては仲良くなり、それぞれの国での再会を約束しあったものでした。
UCSFは大学病院であり、行われている脊椎手術は幅広く、低侵襲手術から変形矯正、椎体全摘術までバラエティーがありました。また脳外科と連携して脊髄腫瘍手術(とくに髄内腫瘍手術)もありましたので、手術方法の違いに興味が尽きませんでした。診療以外の教育にも力を入れており、カンファレンス、講演会が毎日のようにありました。手術、外来、カンファレンス以外は、成人脊柱変形に対する矯正手術のデータベース作成に取り組んでいました。そのデータを元に2つの研究を行い、論文を執筆しました。またUCSF整形外科主催の外傷コース”Annual International San Francisco Orthopaedic Trauma Course”や、同門を集めた”LeRoy C. Abbott Society Scientific Program”、脊椎コースである”Annual UCSF Spine Symposium”, “Annual UCSF Techniques in Complex Spine Surgery Course”が毎年開催されており、もれなく参加しました。そのうちの2回は学会形式、2回はカダバーコースでした。またこのようなコースでなくても、整形外科の中に常設カダバー・ラボを持っているため、最新の手術方法について実際に手にとって勉強することができました。
週末は病院に行くことはありませんので、計画的に週末を過ごすことができました。サンフランシスコは全米からだけでなく、世界中から観光客が集まってきておりました。特に車で1時間のナパ・バレーは、カルフォルニアワインの一大産地であり、風光明媚でこの世の天国のようなところでした。およそ1kmおきにあるワイナリーでは次々とワインの試飲ができます。さらにここでは温泉を備えた宿や、ミシェランの星付きレストランが何軒もあり、大人の隠れ家リゾート地といえます。私は週末にはスポーツを主にやっており、硬式野球や、オフシーズンは柔術、バスケットボールをしていました。さらに自宅から車で30分も行くと、メジャーリーグのジャイアンツとアスレチックスのホームスタジアムがあるため、何度か野球観戦に行きました。観戦に行く度に選手から試合球やサインをもらっていましたので、日本のプロ野球と米国のメジャーのファンサービスは雲泥の差であることを実感しました。翻って医療界でも日米の医療サービスに差があるように感じました。例えば患者さんは自分のカルテ、検査結果などを、オンラインで自宅から参照できること、セカンドオピニオンはわざわざ病院がある都会まででて来る必要はなくオンラインでできることなどです。
米国での生活を楽しみ、異文化交流できたことは貴重な財産になりました。ただし米国は移民の国であり、特にサンフランシスコはリベラルであるため、異文化交流は日常茶飯事で当然のことでありました。つまり背景となるアイデンティティが異なっているのは当たり前で、その上で何ができるのかということを求められていたように感じます。職場以外では私は学生時代からほそぼそと続けてやってきた柔道があり、米国では柔術の技を教えてもらう代わりに、柔道の技を私が教えていました。日本より体の大きなマッチョたちを相手に、取っ組み合いをするのは大変骨が折れる事ですが、逆に体当たりしているうちに、不思議と仲良くなるのも早いのです。私の帰国後も来日する予定の友人も多く(東京オリンピック効果でしょうか)、留学中の縁をうまくつないでいけるかどうか、今から楽しみであります。